僕は元引きこもりです。今も本質は変わっていないのかもしれませんが色々な機会に恵まれこのようなブログを書くまでには至りました。
カメラマンになって他のカメラマンさんとお会いする機会がめちゃめちゃ増えました。
カメラマンという職種は聞くけど実際に会う機会ってなかなかないのではないかと思います。
実に個性的な方々が多いです笑
今回はプロフィール的なものも兼ねて、僕がカメラマンになるまでの経緯を綴っていこうかと思います。
開業して4年
元々カメラは趣味では持っていたものの、
どうやったら背景がボケるんだろう?程度の使い方しか知らず、
絞りやシャッタースピードで撮影の幅が変わることを知ったのは実はここ数年。
別の仕事をしながら有償、無償問わず撮影経験をして、
独立して専業カメラマンとして活動するようになってから
開業届を国に提出し、もうすぐ4年。
色々な経験をさせていただきましたが、引きこもり〜フリーター時代に培った経験が役に立つとは思ってもいませんでした。。。
引きこもりからカメラマンへ
もともと僕は引きこもりです。今も健全に元気でやれているか、主観で判断しかねますが
おかげさまで活動できております。
小学校はまぁまぁ、覚えている限りではそこそこ普通に、過ごせていた気がします。
あ、プールの授業のときにいわゆるいじめでパンツを隠されていたらしい。
実はそれほど記憶にないけれど、母親が心配して学校まで来ていたとか。。。
引きこもりのきっかけは中二の一学期。
何人かの不良生徒に廊下で殴る蹴るなどのイジメを受けたのが原因です。
その頃の僕は人見知りもするしおとなしいタイプで、幼稚園の頃から絵を描くのが好きで、それが高じて漫画やアニメを読んだり観たりはもちろん、実際に好きな漫画などのキャラを描いていました。
今でこそアニメやオタクという文化が「文化」として浸透してしますが
当時はまだまだ市民権を得るには至らず、あまりいいイメージではなかったかもしれません。
で、僕はいわゆる不良グループの餌食となり、休み時間にしばしば絡まれるようになりました。
そして学校へ行けなくなり、1、2度ほど担任の先生や学年主任がウチに訪問に来られたこともありましたが
行ったとしても放課後に保健室で出席のハンコだけ押して帰る程度。教室に行くことは無くなりました。
Photoshopとの出会い
学校に行かなくてもウチで漫画などのキャラクターを描いてはいました。
チラシの裏に落書きをする程度から、ノートに自分の創作のストーリーを描いた漫画まで色々描いてはいましたが
今のようにSNSが普及しておらず、見せる相手は弟くらいでしたが特に不満もなく、
将来のビジョンもあやふやにとりあえず日々を過ごしていました。
そんな中、母のパート先の家電売り場でパソコンに詳しいおじさんがいて、
僕の話でもしたのでしょう、使ってない画像編集ソフトがあるから、と
一枚のCDをいただきました。
それがPhotoshopとの出会いです。
パソコンは持っていたのですがやり方が全くわからない。。。。
さっそく本屋に行ってイラストの描き方が載っている本を見つけ、たまたま手に取った本に
デジタルアートの描き方の特集があり、パソコン上でイラストを描く方法が書いてありました。
僕の感性にドストライクなイラストレーターが載っていて、試行錯誤、トライ&エラーを繰り返して
少しずつですが描き方がわかってきました。
そう、当初は「Photo」shopというソフトにも関わらず、イラストを描くツールとして使用していました。
写真を撮るという、外に行かなければならないことは当時はハードルが高かったのです。
転々とした職場
僕の父はいわゆる転勤族で、埼玉県内を転々としていたのですが18歳の頃に神奈川へ引っ越すことになりました。
埼玉から初めて県外へ。就職活動というものをするタイミングもなくとりあえずバイトしなければ欲しいゲームも買えない。。。。
と思いつつも学校自体をろくに行ってない僕は同世代でも接し方がわからず、何ができるかも何がしたいかもわかりませんでした。
ガソリンスタンド、薬局、靴屋や工場など色々行ったのですが色々な要因が重なりどこも長続きせず
その度に履歴書を書くのに疲れてきました。
カメラのきっかけは車
自動車免許は取ったほうがいいと父に言われ、とはいえ協調性に自信がないので「他の交通を妨げない運転」ができるだろうかという不安もあり、
さらに通いで取るというのはいつか行かなくなるのではないかという懸念もあったので合宿でなんとか。。。
MTのがいいということで頑張りました。クラッチって何?進まないんだけど!?と四苦八苦です笑
免許は取っても車は買えず、、、、普通免許を取ると原チャは乗れるのですがスクーターは似合わない、、とか
勝手に思っていて、仮面ライダーが乗ってるようなバイクが欲しい、、、てことでそれっぽいのを買ったら
原チャは制限速度30km/hなのにすごく速そうに見えるバイクのため、逆に危険ということで自動二輪を取ることに。
そこから限定解除して大型二輪の免許まで取りに行くのですが、そのときに一緒に卒検を受けた方が免許センターまで乗せて行ってくれるということで乗った車がGTRというやたら速い車で、
これがきっかけで車に興味を持ち始めます。
今度は速い車が欲しくなり、安くて速そうな車を探して買うのですが、これがいい社会勉強になりました。
このとき買った車はボロボロで、お店は後に摘発されることになります。
車の整備のことは何も知らないのでとりあえず何か覚えなきゃ、、、ということでディーラーに応募して、
契約社員として働きました。
買った車はボロボロすぎて、ここで新しい車に乗り換えることになるのですが、
この車を撮りたくなってカメラに興味を持ち始めます。
震災の後に
サーキットに行ったり、当時流行りのmixiからオフ会に行ったりと少しずつ外に出るようになりましたが
人見知りなので爆発的に友人が増えるということはなく、一人で車をいじったりドライブしたりで過ごしていました。
職も相変わらず転々としていて、ベンチャー企業で体を壊したり、医療関係の仕事で車の運転や知識が必要な部署で働いたりしていました。
その医療関係の仕事で介護施設を訪問中に東日本大震災がきて、閉じ込められて大変な目に遭いました。そしてその後、医療の仕事は続けられなくなります。
このあとに建設業で働いたりもするのですが、ここで身体ではなく精神を病んでしまい、心療内科に通うことになりました。
職を転々として人見知りで協調性もなく、資格も持ってない僕はどう生きていいか分からず、
途方に暮れますが、こうなったら好きなことして前のめりで死のう、と
ポジティブなんだかネガティブなんだか分からない思いを馳せます。
正直いうとそれでも選んだのは消去法なのですが、
カメラは楽しいな、ということでカメラの仕事を探すのですが、
面接に行ってもどこの写真学校出身か、誰かを師事したりアシスタントの経験は?と聞かれ
答えることができませんでした。
写真学校出なきゃダメなんだ。。。。
カメラ、写真に学校があることも知りませんでした。
途方に暮れましたが近くのカメラ屋さんで募集がかかっていたのでそこで撮影ではなく、
プリントやカメラの販売に携わることでカメラの知識や経験を重ねました。
ただ、撮影しているわけではないので限界があり、さらに景色写真などはどのくらい先人がいるのか分からないくらい飽和状態のイメージ、人を撮っていけば新しい何かが見つかるかもしれない。
とはいうものの、人見知りで石橋の上を叩いて渡らないくらい保守的で引っ込み思案な自分が
何をどうしていいか分からないと思っていたところ、
Instagramでモデルを募集すれば来るかもよ?
というアドバイスをいただき、プロフィール欄に撮らせていただける被写体を募集する旨を記載したところ
想像より多くの反響をいただきました!
人見知りの自分が知らない異性に率先して指示を出し、撮影をします。
表情や景色は一期一会なことばかり、ピンボケやブレなど失敗は許されない状況に置かれるというのは
この上ない荒療治だと思いました。
今でもまだまだ発展途中ですが、当時は技術も経験もないため、全力で頑張りつつもどうしても、、、という部分はありましたが、
ここでPhotoshopを触ってきた経験が活かせました。
明るいくらいや不要なものの除去、色補正など現場ではカバーしきれなかったものも後から修正でき、
さらに僕なりの色合いや世界観をプラスすることで個性的な一枚に仕上げることができました。
モデルをしていただいた方々にもとても喜んでいただき
こんな僕でも人を喜ばせることができるんだ、、、、とうれしい気持になりました。
プロとして
Instagramは作品作りということで、基本相互無償でやっていましたが
それでは仕事にもならず生活もできないので
カメラマン派遣サイトに登録し、少しずつですが案件を取ることを頑張りました。
このとき初めて取れた案件は歯科医院のHP素材用撮影です。
以前勤めていた医療関係の仕事の経験上、器具の使い方や名前などは把握しており、
人物の撮り方や表情の引き出し方はInstagramの経験があり、
どうしても映り込んでしまった不要なものや明るさ調整などはPhotoshopで修正できる
どこの馬の骨かも分からない自称カメラマンに仕事が回ってきました!
派遣サイトの実績ゼロから1になりました。これがきっかけで少しずつではありますが、
案件をいただけるようになりました。
これから
コロナ禍もありまだまだ安定とは言えませんがおかげさまで色々な経験をさせていただき、
なんとか専業カメラマンとして生計をたてております。
喜んでいただけるような撮影ができるように精進してまいります。
こちらにもまた違う側面からインタビューでお答えしております。